受験技術が進歩している今日において、受験生と予備校・塾との相性は、合否を左右する要因になりえます。そこで、タイプのまったく違う予備校・塾を、少なくとも二、三校は調べてみて、訪問し、比較対照する必要があるのです。たしかに、「予備校・塾なんてどこでも同じ。大事なことは、自分が勉強するかしないかだ」といった考えもありましょう。しかし、そのように自分がしっかりしていれば、受験参考書、問題集、通信教育システム(添削など)なども進歩していますので、それで十分にこと足りるはずです。それらの数倍、数十倍の料金を払って、予備校・塾に通うのは不合理といえるでしょう。予備校・塾とは、そうしたしっかりした受験生には必要ないかもしれません。しかし、大半の受験生は、受験だけが高校生活ではありませんので、さまざまな受験以外のことで「受験に万全な自分」を保てません。そうした受験生には、やはり、自分にあった予備校・塾が必要なのです。また、高校生活や浪人生活を、すべて受験に傾けられる人にとっても、自分に合った予備校・塾は、より効率的な受験勉強を提案する存在として、また、合格可能性をより高める存在として、十分に機能しえます。そのように、自分に合った予備校・塾を効率的に探すため、訪問計画を立てることが必要なのです。
偏差値50ということは、テストの参加者のなかではまん中に位置する。しかしAというテストには勉強のできる人ばかりが参加し、Bというテストにはいろいろなレベルの人が参加したとしたら、Aの偏差値50とBの50は同じことを意味しないのは明らかであろう。つまり母集団の質によって、同じように見える偏差値の意味は異なってくるのだ。もっと簡単にいえば、中学受験に参加する小学生は、成績上位の二割から三割であるが、高校受験に参加する中学生は、5段階評価で1から5の生徒全員であるということだ。成績が良い子ばかりが集まっていれば、偏差値は低く出る。逆に悪い成績の子が集まれば、少し成績が良いだけで偏差値は高くなる。O大学附属中学の偏差値48と、附属高校の65とは、全く比較できないのである。だからこの数字だけを見て、中学の方が入学しやすいと考えたら、それはとんでもない間違いだということが、わかっていただけたであろうか。流言飛語にはくれぐれも注意したいものだ。なお、このような偏差値を親に見せて、中学受験の方がずっと楽だといって入塾を勧めるところがあるが、そのような言葉に、だまされないように気をつけていただきたい。中学受験をするなら、その学校のことをよく調べ、ほれ込むことが大切である。
人には個性があります。厳密には一人ひとりタイプが違います。ですから、本来は何人もの人をひとまとめにして、○○タイプと完全に類型化することはできません。しかし別の人どうしでも、その一部が似ていることがあります。だから、似ている点を用いて類型化して、自分はどのタイプに当たるのかを考える参考にすることができます。ただし、これには前提があります。自己についてもうすこし知っておくことです。では、自己についてどう考えたらいいのでしょうか。ヒントとしてよく引用されるのが『イソップ物語』の犬の話です。骨をくわえた犬が川に映った自分の姿を見た。その犬は、別の犬が骨をくわえていると勘違いし、その骨を横取りしようとして吼えた。その途端に自分がくわえていた骨を川に落としてしまった、という粗筋です。単純な話ですが、自分にとって大切なものを失わなければ、自己を省みることができない事実を示唆しています。この犬も、骨を失ってはじめて自分に気がついたのではないでしょうか。われわれは、日々の暮らしの中で自分を省みていません。あるいは省みる余裕がないといったほうが当たっているといっていいでしょう。あるとき、鏡に映った自分を見たら何を感じるでしょうか。ほかでもない、かつて自分がもっていた「脳力」を失ったのではないかと感じませんか?逆説的になりますが、もし、そう感じたとしたら、あなたはすでに「脳力」の半分を回復しているのです。
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